ブラジルの赤い土
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 ブラジル旅行bS

1985年10月7日(月)
 夜9時にマナウス-AM 到着。ベレンから1,713kmを5泊6日で河を上ってきましたが、標高は93mしかありません。雨季と乾季で水位が5m以上変わるので浮き桟橋になっています。ボート用の給油所もいかだ式になっており、人は自然の変化に合わせて暮らしているのがよくわかります。
 同船者に教えてもらったペンソン街アベニーダ ジョアキン ナブーコのペンソンに泊まる。一人15,000cr(1j50k)の部屋はひどかった。窓はあるが天井板はない(1部屋をベニヤ板で仕切って2部屋にしてある)。ベッドは汗臭くシーツもなくてハンモックを敷いて寝る。

10月8日
 ペンソンのひどさに耐えかねてJAICAに行き日伯会館に泊まれるように頼む。市内バスが良くわからないので1時間ほど歩いてたどり着く。そこには自転車旅行中の大阪府堺市の青年も泊まっていました。彼はニューヨークの日本食レストランでお金を貯めてあちこち自転車旅行をしているとの事でした。

10月9日
 メルカードをぶらぶら歩く。生鮮食料品が豊富で活気があり、初めて見る魚や果物がいっぱいあります。街にはジュース屋、アイスクリーム屋があちこちにあり、色々と食べ歩きました。

10月10日
 マナウスの日系の養鶏組合に行き話しを聞く。乾季には漁獲量が増えて卵が売れないとの事。近郊の農家にも行きたかったが、交通の足がないので行けなかった。

10月11日
 午前9時30分、ポルト ヴェーリョ-RO 行きのバスに乗る。30人乗りの小型でオフロード仕様。バルサ(渡し舟)が6回、一部アスファルト舗装で順調に走る。このへんはサンパウロでの話では道が相当ひどくてバスなんかないかもと聞いていたのですが。

10月12日
 午前9時すぎ、ポルト ヴェーリョ着。行程878km 。
 ベレンのJAICAで紹介してもらった須藤 氏に電話をして迎えに来てもらう。街から12kmのトレーゼ デ セッテンブロ入植地にある農場を見せてもらう。ねぎ、レタスなどの野菜、オレンジ、ライムなどの果樹、ガラナを植えておられ、ポルト ヴェーリョに出荷しているとの事。ここは森に近くニシキヘビ、毒蛇、ワニなども出てくるそうですが、むやみに殺したりはしないそうです。またインディオも時には見かけるそうです。
 街のホテル泊。30,000cr(3j)。


裏の森には野生動物がいっぱい


10月13日(日)
 マデイラ河の川沿いに鉄道が日曜日だけ営業しているので乗せてもらう。フィラデルフィア(U.S.A,)製の蒸気機関車が引きます。このマデイラ鉄道はボリビアまでの計画が、建設に困難を極め枕木1本にひとりの命がかかったとの事で未完成のままです。
 昼食にカメ料理とシュハスコをお宅でご馳走になり、午後からは車で1時間ぐらいの距離のマデイラ河で日系の方が経営する金の採掘場を見せてもらいました。河に船を浮かべてポンプで川底の砂利を吸い上げて金を集めるのです。砂金を固形化する時に、水銀を使っていたので環境汚染が心配です。


今は観光用のマデイラ鉄道

10月14日
 午前7時のバスでアルキーメスに向かう。202kmのBR364はアスファルト舗装が出来たてで2時間30分で着く。バスも新車でこんなに快適な移動はバイーア以来のものです。
 ここでは吉森 氏にお世話になりました。吉森 氏は61歳の時にサンパウロ州ビリケイから移住してこられ、山を開墾され3万本のカカオの農場主です。彼はサンパウロで農場主として成功され、それを息子さんに任されまた新たな開拓者としてこの地にやって来られたのでした。

10月15日
 今日は林 氏のお世話になりました。彼も1年前、3男の息子さんと北パラナ州から移住してこられました。コーヒーとカカオの農場を買われて、街に住みながら、ブラジル人に歩合でやらせています。このへんはテーラロシアで土地がよくトメアスのものに比べても良く育っているようです。

10月16日
 午前9時30分クィアバ行きのバスに乗る。林 氏の奥さんにおいしいお弁当を作ってもらいとても有難かったです。

10月17日
 午前5時30分クィアバ-MT着。行程1,214km。午後2時発のアルタ フローレスタ行きのバスに乗り換え。途中バスが止まり乗客全員を降ろして黄熱病の予防注射をする。僕たちはすでにベレンで済ましていたのでOK。

10月18日
 朝早くバルサの手前で停車中、パラナのナンバーを付けたトラックが引越し荷物満載で何台も停車していた。荷台には母子、家財道具のほか、家畜(牛、馬、ロバ、鶏、豚)まで積まれていました。ホンドニア州やマットグロッソ州には南の州から次々に入植者が来ています。
 午前8時にアルタ フローレスタ-MT着。行程797km。ここではこぎれいなホテルに泊まる。70,000cr(7j)。ここはガリンペイロ(金の採掘人)が多く住んでいるので物価が高いのにビックリ。
 コチア産業組合の郷原農業技師に組合の農業試験場を案内をしてもらう。住宅地(500u)、農地(3ha)はさすがに安いようです。ここでは、山を開墾して焼いてから陸稲、とうもろこし、フェジョンを2〜3年植えてその後カカオ、コーヒー、ガラナなどの永年作物に切り替えていくようです。開拓初期の様子がよく分かります。


開墾後すぐの土地に陸稲を植えている

10月19日
 ここには、日系の方は少なく、南部の土地を持たない農民のために、INCRA(国立農業改革院)とコチア産業組合が開いている入植地です。新しい道路も建設中で将来は良くなると思いました。夜は移動遊園地をブラブラとして田舎町を堪能。

10月20日
 午後3時30分のクィアバ行きのバスに乗る。

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